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私のヨーロッパ初体験。【イギリス篇2】

いや〜
会社近所の清真で晩ご飯を食べた帰り、屋台版清真に寄りました。
そしたら、干しぶどうなどを台車で売っている新疆のおっちゃんと兄ちゃんがいました。しかも、それぞれの台車で同じものを売っていた。。。で、商売ほったらかしで屋台版清真の兄ちゃんと3人でずっとくっちゃべっていました。

どうも、どうも。
ありがたく干しぶどうを頂いたキンスキーです。


で、私のヨーロッパ初体験。【イギリス篇1】の続き。

ロンドンで友人と合流し、次の日はマンチェスターへと向かった。その友人たっての希望で行ったんだが、なぜかというと、数々のブリティッシュロックアーティストを輩出しているところだからである。

ロンドンから列車に乗り、途中、ラグビー発祥?の地であるラグビー駅を通り越し、およそ3時間でマンチェスターへ。

しかし、中華街ってどこにでもあるもんですなぁ。マンチェスターにももちろんありました。

で、マンチェスターといえばやはりロック。
ライブハウスを探し、あまり飲めないビールを片手に本場のロックを堪能した。ま、とはいえアマチュアバンドだったと思うが。

その日は3組のバンドが出演していたんだが、トリをつとめるヒョロっとした兄ちゃんは人気があった、ライブに来ているオネーチャンもその兄ちゃん目当てなのか、引き止めてはしゃべっていた。で、「腕」のほうはどうかというと、友人はかなりロックには詳しいんだが、そのヒョロっとした兄ちゃん率いるバンドの演奏を聴いて、まあ結構うまいなぁ、と言っていた。

が、しかし、私と友人の2人が大絶賛したバンドがあった。二組目に登場した「バリモアーズ」というバンドなんだが、なにが良かったかって、ボーカルの兄ちゃんがスキンヘッドでものごっついいかつい顔でまるでネオナチかいな、という感じだったことと、これは偏見だが、普通、MCって真ん中にいるボーカルがするもんだと思っていたんだが、このバンド、意表をついて端っこにいた大柄で髭もじゃのギター(ベースだったかな?)の兄ちゃんがMCをやり出したことだ。

で、いざライブが始まると、、、このネオナチもどきの兄ちゃん、声が異様に高い高い。。。あんたそんないかつい顔してるんやったら、もうちょいシブイ声出しぃな、、と思わずつっこんでしまったんだが、更に、ギターの兄ちゃんも首を一生懸命、縦に振りまくりで私にとっては非常に気に入ったバンドである。友人曰く、バンドの技術としてはなかなか良かったと言っていた。

というようなことがありつつ、2泊してロンドンに舞い戻った。
で、そのロンドンでスケベ心丸出しにしたおかげでエラい目に遭ってしまった。。

                                   続く。。

てな感じで、また次回!


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author:キンスキー, category:プロフィール的, 23:38
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私のヨーロッパ初体験。【イギリス篇1】

いや〜
日米航空自由化で、日本航空の資本・業務提携先が加速しそうだ、、というニュースがこの前ありましたが、果たしてどこと提携することになるんでしょうか。
候補はデルタ航空とアメリカン航空。
ま、私としてはスカイチームのデルタ航空とガッチャンコして欲しいところなんだが、まあ、同じアライアンスのアメリカン航空とのほうがすんなりいくんでしょうね。アライアンスを替えるとなるとお金がかかったりシステムの変更やらそれこそなんやかんや邪魔くさいことが多いでしょうし。。

どうも、どうも。
とはいえエールフランス万歳!なキンスキーです。


ということで初体験シリーズ。

今回はイギリス

これはですね、大阪の会社をやめて3ヶ月の間プラプラしてた時のことなんだが、確かゴールデンウィークの休みに入る2日か3日前になって、仕事をしていた時の旅行好きの知り合いとどっか行こうか?という話になり、とある旅行代理店に行った。

とりあえずは東ヨーロッパのどっかの国に行こうと決めて代理店に行ったんだが、なんせゴールデンウィーク直前なので、往路の飛行機はあっても帰りの日にちは合わない。んでもって高い。もちろん私は無職だったので帰りの日は気にしなくてよかったんだが、その知り合いは会社の関係で暦どおりじゃないといけなかった。

で、結局、ヨーロッパ方面だったらどこでもいいですわ、と代理店の人に言って探してもらった結果、イギリスが候補として出てきた。キャセイパシフィック航空で、確か14、5万円だった。でもその知り合いは直行便にこだわってたので、結局、日程優先で全日空だったと思うが30万円(35万円だったかも)のもので手を打った。

ま、この知り合いの人とは年齢が近く、お互いの趣味の話をしても突っ込んだ会話ができる稀な人間だったので初めて仕事先で一緒に仕事をしたときから今でも付き合いのある人間です。

まあそんな感じで、行きも帰りも別々、、というイギリス旅行になったわけなんだが、代理店の人が言うには、私の場合は、あと1万円プラスすれば、なんと!おフランスパリにて途中降機できますよ、、とのことだったので、もちろん喜んで我がおフランスパリに一泊した。

その友人とは出発日は同じだったので、彼は一足先にイギリスはロンドンに降り立ち、サッカー観戦をしてたらしい。もちろんその頃私はパリをウロチョロ、9年ぶりのパリを満喫していた。

次の日、そんなパリを後にしていざロンドンはヒースロー空港に着いて入国審査の行列に並んだものの、そこはさすがイギリス。全然前に進まない。1時間半から2時間は待ったような気がする。友人も空港に迎えに来てくれてたんだが、待てど暮らせど私が出てこずインド人っぽい人間ばっかりが出てくるので、飛行機乗り遅れたんちゃうか?と思っていたらしい。

いやあ、いろいろ聞かれましたよ、職員に。お前はテロリストか?とか何しに来たんだ?とか、何日いるつもりだ?などなど。ちなみにテロリストか?と言われて冗談でイエス!って言ったらどうなるんでしょうかねぇ。というか、テロリストか?と聞かれて「ハイ、テロリストです」と答えるテロリストなんておるんかいな。

てなことがありつつ無事に友人と合流。

                                   続く。。

てな感じで、また次回!


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author:キンスキー, category:プロフィール的, 23:32
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★私の北米大陸初体験。【アメリカ篇】

いや〜
久々の初体験シリーズ。
今回はパツキンの国、またはお米の国、アメリカ合衆国です。

どうも、どうも。
とはいえパツキン女性にはあんまり興味がないキンスキーです。


もちろんパツキン女性との初体験話ではありません。

え〜、前回は社員旅行でのインドネシアのことを書いたが<こ・ち・ら>、今回はアメリカ合衆国。これは仕事で行った。

まあ、アメリカには全く興味がないので今後もよっぽどのことがない限り行くことはないと思う。。。

あ、ちなみにお米の国と言う言い方は東ヨーロッパを周った時にポーランドで知り合ったケンさんと言う人が、ある種隠語として使っていた。
例えば、白人を目の前にして「アメリカ人はほんま○○やからなぁ」などと悪口を言う時にその白人がほんまにアメリカ人だったらバツが悪いので、そのような言い方をしていた。

で、アメリカ合衆国のどこへ行ったかというと、テネシー州ナッシュビルリンチバーグ。そう、カントリーミュージックの都とテネシー・ウイスキー(ジャックダニエル)の街。

ナッシュビルではレコーディングスタジオを見に行ったり、プレスリーのモノマネをするおっさんに遭遇したり、リンチバーグではジャックダニエルの蒸溜所に行ったりした。そういえばバーベキュー世界大会なるものが開催されていたなぁ。

まあ、トータルで10日程いましたなぁ、そういえば。

で、これは帰国してから聞かされた話しなんだが、アメリカって銃社会やなぁって実感した出来事があった。

それはアメリカ最後の日に起こった。ちなみに体験したのは私の上司。といっても私は一番下っ端で行ってたので上司は何人もいたんだが。ま、そのうちの一番仲の良かった上司です。

その人は最終日の夜中、泊まってたホテルの近くにあるマクドみたいなところで、滞在中、仕事のお手伝いをしてくれていた現地の大学に留学していた学生クンとその彼女の3人でメシを食べてたらしい。
3人は店の奥に陣取り、私の上司とテーブルを挟んだ対面に学生クンとその彼女という配置で、上司は出入り口に背を向けていた。

ま、最後の夜だったので何時間も話をしていたらしいんだが、ある時、目の前の二人が急に会話をやめ、目をこわばらせて上司の後ろの方を指さし口をパクパクさせた。???と思ってるとその二人がテーブルの下にもぐり込み、またまたハァ?と思ってると、その上司は自分の肩越しからニョキッっと銃が出てきたのを見て、初めてこの店に拳銃強盗が入ってきたのを悟り、モソモソとテーブルの下にもぐり込んだらしい。

幸い、その強盗は銃を発砲することはなく、レジからお金を掴んで逃げただけでその3人及び他の客にケガなどはなかったそうだ。

夜中の3時ぐらいだったそうだが、もちろん私はそんなことつゆ知らずホテルでスヤスヤ眠っていたんだが。。

いやぁ、自分が経験したことではないんだが、ホントあらためてアメリカって銃社会なんだなぁと思った出来事だった。
ま、フィリピンもよう似たもんだとは思うが。。。

てな感じで、また次回!


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author:キンスキー, category:プロフィール的, 02:19
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私の東南アジア初体験。【インドネシア篇2】

いや〜
みなさん、
中国の年に2回の民族大移動の日のイミグレには気をつけて下さい。
香港に抜けようと思い、朝、ホワンガン(ホアンガン)口岸に行ったら、唖然としてしまいました。溢れんばかりの人、人、人でした。。。
ってことは香港入国側のイミグレもおそらくウジャウジャ人がいたことでしょう。
多分、羅湖のイミグレも同じだったと思われます。

どうも、どうも。
おそらく中国人ツアー客ばっかり見た気がするキンスキーです。


で、インドネシアへの社員旅行話の続きだが、

前回はこ・ち・ら

貸切でボートを借りて釣りをしたり、まあ束の間の休日を楽しんだわけだが、
いざ帰国、という段になって今までの人生でトップ3に入るくらいあせった事件が起こった。

空港まで行き、チェックインしてイミグレを抜け、ブラブラしている時にふと、あることに気付いた。
あれ?何か忘れ物してる。。。

そう、前回の【インドネシア篇1】の冒頭に書いたが、ジャンパーを着ていないことに気が付いた。
あああああああああああああ!
ホテルに忘れてきた。。。。
こ、殺される。。。

何をそない大層に殺されるなんて、とお思いの方、違うんです。殺されるくらいの状況が待ってるんです。その服を忘れたことによって。。。

そのジャンパーにはポケットがたくさん付いていたので、日本を出発する前に仕事をしていた時の仕事で使う仮払い金とその領収書を入れていたのだ。
そりゃまあ、何百万円分とかそんな大金じゃないんだが、だいたい30万円分ぐらいだった。。。
ま、普通の会社だったら、ハイ、立て替えてね、、で済むかもしれないが、私がいた会社はそんなんでは済まない。そりゃもうオオゴトである。
「できないクン」って言われるだけならまだしも、
あ、アイツと仕事したら、金と領収書忘れてきよるから一緒に仕事できへんわ、、とか、
アイツを海外に連れて行ったら、金と領収書忘れるから、連れて行かんほうがええでぇ、、
というふうに、
今後、仕事をふってくれないだけならまだしも、海外の仕事にも連れて行ってもらえなくなる。。。
で、更には、ボコボコになる。(←ご想像にお任せします)

だからえらいこっちゃである。
血の気が引くとは正にこのことか、、、というくらい青い顔をしていたと思う。

ホテルの部屋にある鉛筆をパクッてきていたので、そこに刻まれている電話番号に電話をかけ、日本語のわかるスタッフに替わってもらい、まずジャンパーがあるかどうかの確認をしてもらい、その後、どういう段取りを取るかを相談。
空港まで届けてくれることになったんだが、もちろんイミグレの中まではホテルのスタッフは入ってこれない。なので私が外に出ることに。。。

こっからが問題だ。
私はカタコトの英語しかできない。どうイミグレの係官に説明して外に出るか。
とりあえずイミグレに行き、パスポートを見せつつ、
「アイ フォゲット、あ、ちゃう、フォゴット マイ マネー イン ホテル」
「ホテルスタッフ カム エアポート ソウ アイ ウォント ゴー アウト ヒアー」
とかなんとか言って、必死でお願いした。
まあ、係官はOKと言ってくれたんだが、無事ジャンパーを受け取って再びイミグレに来た時にその係官がいなかったら困ると思ったので、何か証明書みたいなものをくれとお願いした。
「いいから行け」
みたいな仕草をする。
それでも後々怖いんで、またまたお願いをしたら係官が怒りだした。
じゃあ、外に出る許可は取り消し!!!
みたいなことを言うではないか。
で、お言葉に甘えて外に出た。もちろんパスポートには出国印が押されたまま。

待つこと15分。
いやあ長かった。
ホテルのスタッフが警備員みたいな人間を2人連れて笑顔で現れた。
「きちんと確認してくれ、元のままだろ?」
みたいなことを言われつつジャンパーを受け取った。
確かに、何も盗まれていない。お金も領収書も無事だった。

で、あらかじめ用意していたお金(謝礼のつもり)をスタッフに渡そうとしたが、受け取らない。
この為にわざわざ付いてきてくれたこの警備員に渡してやってくれ、と言うではないか。(おそらく)
いやあ、喜んで渡しましたよ。確か、日本円で5、6千円ぐらいだったと思う。

そのあと、ガッチリ握手してイミグレに戻ったんだが、先ほどの係官がいたのですんなりと出国できた。
もちろんその係官にはマネーは握らせませんでしたが。。。

なんやかんやで1時間。集合場所に行ったら皆すでに待っていた。
「お前どこに消えてたんやぁ、捕まるようなことしてたんちゃうやろなぁ」
と言われつつジロッと睨まれたが。。。
(間違っても白い粉なんぞ吸うとりません。。)

で、何事もなかったかのように無事、日本に戻ることができた。

ということで《私の東南アジア初体験。【インドネシア篇】》、以上。

てな感じで、また次回!


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author:キンスキー, category:プロフィール的, 05:47
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★私の東南アジア初体験。【インドネシア篇1】

いや〜
だいぶ涼しくなってきました。ここ中国は深圳。
とはいえ「朝の風」が、ですが。日中は相変わらず暑いです。

どうも、どうも。
しかし、深圳にも哀愁漂う秋がやってきたと思うキンスキーです。


ということで、久々の【私の初体験】シリーズ。
ま、全く関係ないこともないので、一応、前回の初体験、★私の東ヨーロッパ初体験。【14】(スロベニア篇2)★はコ・チ・ラ

で、今回はインドネシア初体験話。
ちなみに、インドネシアっ娘との初体験話ではないので、あしからず。。
言葉わからんのにイチャイチャできまっかいな。。。

前回までのおフランス及び東ヨーロッパを初体験してから数年後の社会人になった直後の話。

大学を無事卒業して社会に出て、というより卒業前から働いていたんだけども、その会社で3月の末に社員旅行に行くことになった。で、何故か私も行けることになった。

行き先はインドネシア・バリ島。

まあ、その頃はアジアには興味がなかったんだが、社員旅行となれば話は別だ。ま、正直行きたくなかったんだけども。。。
なぜか?
コキ使われるから。
そんなこと分かっていたんだが、せっかくなんで行くことにした。
3泊4日の社員旅行。

今でこそ驚きはないのだが、日本が3月でもインドネシアは暑い。日本を出発する時はもちろん寒いのでジャンパーみたいなものを着ていった。これが後に災いをもたらすことになるんだが。
ま、それはとりあえず、おいといて。

あまり会社の人間とは一緒に行動せず、、というかみな大人なんで勝手に行動せいや、ということで白タクのおっちゃんを捕まえて、車で何時間か走ったところにあるとある街?村?に行ったり(すみません。結構細かいこと忘れてます。確か、地球の遊び方、ではなく地球の歩き方に載ってた場所だった。)、映画館があったので、言葉がわからないのに映画を観たり、とプラプラしていた。

とはいえ、まるっぽ自由行動ということでもなく、晩飯はみんなで食べたり、、ということはあった。これがまたエライ(←関西弁ね)。
会計はもちろん下っ端の私がするんだが(もちろんお金は先に預かってます)、私が会計をしている間に上の人間は店を出てどっかまた別の店に行っている。
で、その店を探すのにコレまたウロチョロ。。
(ちなみに、そういう会社です。というか、この会社だけでなくその業界全体がこういう感じです)

で、挙句の果てには「女、ナンパしてこい」。。。
で、またウロチョロウロチョロ。

キン 「すみません、なかなか日本人いないです」
  ⇒ハードロックカフェに張り付いたりしてました。。。
先輩A「ぁあ、別に日本人やのうてもええわい」
先輩B「とっとと行ってこいや」
キン 「はい!!!!」

ま、下っ端ってこういうもんです。。。

で、しゃあないんで、日本語の出来るインドネシア人の兄ちゃんと知り合いになって、その兄ちゃんに相談。
兄ちゃん、何やら電話をしだして10分後にはインドネシア人女性2人が登場。

ちなみに、この女性達、いわゆる商売の女性で、次の日、先輩方に言われました。
先輩AB「お前、商売の女やったやんけぇ。金くれ言われたがな」
キン   「えぇっ、そうやったんですか。知りませんでした。」
キン   「で、はろたんですか?」
先輩AB「まあな」

とまあこんな会話もしつつ、、、。
ちなみに、この先輩方、ホテル側に女性を連れ込んだことがバレて、それぞれ罰金を取られてました。。

=続きは今度=

てな感じで、また次回!


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author:キンスキー, category:プロフィール的, 02:08
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私の東ヨーロッパ初体験。【14】(スロベニア篇2)

いや〜
【私の東ヨーロッパ初体験シリーズ】です。今はスロベニア篇。
言っときますけど、
スロベニア女性と初体験した話なので、
いやいや、ではないのであしからず。
コトバわからんのにいちゃいちゃできまっかいな。

どうも、どうも。
とはいえコトバ分からんでもイチャイチャしたいキンスキーです。


<前回はココ

とりあえず、Bさんと私はスロベニアの首都リュブリャーナ市内を散策することにした。ちっちゃい国だからちっちゃい首都でした。高台に登ったら、国会議事堂?は見えるは、スロベニア大学?は見えるはこれが一国の首都かいな?というぐらいあっけないものだった。
で、
午後からは、一応ヨーロッパの避暑地としても有名な?ブレッド湖というところへ行った。確かバスで2時間ぐらいだったと思う。このブレッド湖、何が凄いって、
「地球の歩き方」には『エメラルドグリーン色をした湖』と書いてあったんだが、ホントにエメラルドグリーン色をしていたのだ。
ホントに。
いや〜、感動しました。(今は知りませんよ。)
更に雰囲気を出してるのが、湖の真ん中あたりにあるブレッド島にある教会。当然、歩いて行けるわけもなく貸しボートで渡らないといけない。男二人で乗りましたよ。ボートに。ボート初体験でした。

ブレッド城
【ブレッド島と聖マリア教会】 (画像引用:ウィキペディア)

ま、この教会についてはウィキペディアに詳しいことが書いてあるのでそちらを見ていただくとして、
(ウィキペディア=ブレッド参照)
で、この島からの帰りに凄い美人ちゃんに遭遇した。ボートを漕いでいると、キャーキャー言ってるボートが近づいてきた。おじいちゃん、おばあちゃん、孫の三人がそのボートに乗っていた。Bさんが英語で話しかけた結果、何と、アルゼンチンから来てるとのこと。休みを利用して来たらしいが、お孫さんは10歳前後ぐらいだったろうか。ホントにお人形さんのようだった。カメラを向けると恥ずかしそうにソッポを向いたので、あいにく撮れなかったが。

その後、ボートを降りて湖の周りを1時間ぐらいかけて歩いた。途中ブレッド城という城に登り景色を堪能したが、ホントに避暑地のようでは景色は最高だった。
もちろんこのブレッド城から見えるブレッド島はスバラシイです。


【左がブレッド城】 (画像引用:ウィキペディア)

でも悲しいかな我々が行った時は休日だったらしく、ほとんどの店が閉まっていたので、お土産を買うのに苦労した。

で、ブレッド湖全景 (画像引用:ウィキペディア)
ブレッド湖
いやぁ、ホントにいい所でした。

てなことがありつつリュブリャーナ市内に戻った。晩ご飯を食べた後、私はその日の夜おフランスに戻る列車に乗らないといけなかったのでその身支度をして、Bさんと部屋で談笑していた。

そしたら、コンコンと部屋をノックする音が聞こえた。ハテ?誰だろうと思い、「イエス、プリーズ」とわけの分からない英語を発したその時、人が入ってきた。
日本人だった。
とその瞬間、Bさんが「アッッッッーーーーーーー」
と叫ぶではないか!
??????
 「キンスキーさん、ほら、クラクフのホテルにいた時に言ったでしょう。
  もう一人日本人が泊まってるって。」
そう、なんと、クラクフのドミトリーの同じ部屋に泊まっていながら一度も顔を合わせたことがなかったCさんだった。
(Cさんの記事はコチラ↓↓↓↓↓)
私の東ヨーロッパ初体験。。。【7】(ポーランド篇6)
私の東ヨーロッパ初体験。【9】(ポーランド篇8

二人は再会を喜んでいたが、おもむろにCさんが、
 「キンスキーさんって僕の隣のベッドで寝ていたでしょう、
  ある時、部屋に戻ってきた時に
  日本人っぽい人が寝てるなと思ってたんですよ
  でもスヤスヤ気持ちよさそうに寝ていたので起こさなかったんです」
と言い、
日記を取り出した。
そこには
 「隣に日本人っぽい人が寝ているがあまりにも気持ちよさげに寝ているので
  起こさないでおこう」
と書かれてあった。

いやぁぁあ、こんなことってあるんですね。なんかマンガみたいでした。

そのあと、私は22時発ぐらいのパリ東駅行きの列車に乗り、BさんCさんに見送られて我がおフランスへと帰った。
で、パリで一泊してシャルル・ド・ゴール空港から大韓航空に乗り、ソウルの金浦空港で一旦降り、3時間待ちの後日本へ飛び、関空へと降り立った。

で、学生生活が続いた。

いやぁ〜、
初めての旅で、しかも東ヨーロッパをまわったのは2週間ぐらいだったが、結構刺激的だった。ケンさんといい、20ヶ月旅をしているAさんといい、BさんCさん。

この時の2週間はある意味非常に濃い旅になった。

おフランス以外で、
一度行った国でもう一度行きたい国、土地は?と聞かれれば
スロベニア・ブレッド湖と答えます。
それぐらい色んな意味で印象深かったですね。
あとはアウシュヴィッツかな?

ちなみにこの時の旅の経緯をお話すると...
大学の語学研修で私はおフランスへと行った。(一応語学関連の学科に通ってたもんで。)研修期間は2週間だったんだが、そのあとそれぞれ1週間、2週間の自由旅行というのがあった。もちろん規定の2週間で帰国する者もいたが。

しかし、私はこの時分、肝心のおフランスより東ヨーロッパに興味を持ってしまっていた。それで東ヨーロッパ関係の書籍や新書本を読みまくっていた。もっと言うと、この大学に入学することになった時から、3回生で行くこの語学研修の時には絶対に自由旅行をして東へ行こうと決めていた。
特にアウシュヴィッツに
だからアウシュヴィッツに行けたらそれでよかったので、他の国々はホント適当に決めた。現場現場で。東ヨーロッパレイルパスとユーロパス(だったかな?)を組み合わせて取り敢えず無駄な列車料金を払わずに行くことができる国へ。あとはトーマスクックの時刻表とにらめっこ。

前回も書いたが、
おフランスウィーンチェコ迂回のドイツ経由でポーランドワルシャワグダニスククラクフアウシュヴィッツ>)⇒チェコはプラハウィーン経由のイタリアはウーディネ、トリエステ経由のスロベニアリュブリャーナブレッド湖)⇒ドイツ経由でおフランスはパリ
という旅だった。
(移動は全て列車)

ということで、【私の東ヨーロッパ初体験】シリーズは一旦終わりです。
さて、次回からはどの国の初体験シリーズになるのでしょうか。
    
                       クェックェックェッ!

てな感じで、また次回!


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author:キンスキー, category:プロフィール的, 01:43
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私の東ヨーロッパ初体験。【13】(スロベニア篇)

いや〜
途中からこのブログを読んで頂いている方の為に、
初体験シリーズの背景を。。。
この初体験シリーズは、私が初めて訪れた国でのことを赤裸々に?
語っているものです。
で、
今現在はというと、十数年前の学生時代に大学の語学研修で
おフランスに行ったついでに東ヨーロッパを訪れた時の話です。
ちなみに、
おフランスウィーン
ドイツ経由のポーランド(ワルシャワ、グダニスク、クラクフ)→
チェコ→ウィーン、イタリア経由のロベニア
という感じです。

更にちなみに、この時の旅ではちょっと驚くような出来事がありました。
詳しくは、過去のブログを探し出してお読み下さい。

どうも、どうも。
今はカフカス3ヶ国に興味があるキンスキーです。


<前回はコッチ

で、
間違ってもスロベニアの女性との初体験話
ではないので、あしからず。
コトバわからんのにいちゃいちゃできまっかいな。


国境駅でのパスポートチェックで菊の御紋のありがたみを感じつつ、スロベニアへとやってきた。ユーゴスラビア解体の時、唯一、無血革命をやった国ですね。

駅に到着し、いつもの如く「地球の遊び方」ではなく、「地球の歩き方」で目星をつけていたホテル紹介所へ。何のことはない、移転していた。。。
そっから探すこと30分。やっと到着。で、やっとホテルに到着。もちろんドミトリーの部屋へチェックインし、中へ入るとすでに人がベッドで寝ていた。確か、朝の9時か10時ぐらいだった。
その人を起こさないように荷物を置き、服などをクローゼットへ入れていたその時!!

背後から悲鳴が、、、
ではなく、
あ゛ぁ゛ーーー!!!!!!!」
という声が。
びっくりして振り返り誰やねん?と思いながら見ていたら
何と!!!!!
散髪して髪が短くなっていたBさんベッドから身体を半分起こしたカッコで「キャリー」よろしく叫んでいたのだった!!!!
そう、何日か前、
ポーランド
クラクフで別れた
日本の大学を休学してドイツに留学しているBさんだった。
(Bさんとの出会いはコチラコチラ

いや〜、
びっくり くりくり くりっくり!
              by濱根
間違えました。
いや〜、ホンマに
びっくり
  くりくり
    くりっくり!

                                     by濱根隆
でした!!

Bさんは誰か入ってきたな、と思いつつ、こちらをチラッと見ていたらしい。アレッ?どっかで見た顔だな?と思っていたら、私の横顔を見た瞬間に思い出したらしい。私は私で、Bさんが散髪して髪の毛が短くなっていたので、顔を見ても分からなかった。

で、
Bさんが何故驚いていたかというと、ポーランドはクラクフの街で話をしていた時、私は「チェコに行った後、ハンガリーに行きたいんですよねぇ〜。」と言っていた。
だから、
まさかスロベニアにおるとは思わなかったらしい。ま、日程の問題と列車のチケットの問題で私はハンガリーには行かず、ビザの要らないスロベニアに来たのだった。

Bさんはというと、
クラクフで別れた後、チェコへ行きその後ドイツへ行って散髪をしてバスに揺られてスロベニアに来たらしかった。で、朝の6時頃着いたのでベッドで寝ていたという訳だ。

いや〜、こんなこともあるんですね。

今から考えると、
旅をしているとこういうことはあんまり珍しくはないとは思う。旅のブログなどを読んでいると、結構こういう再会ってあるらしい。冷静に考えたら、海外を旅している日本人の絶対数は少ないだろうし、やっぱりバックパッカーは安宿を探すだろうし、、、
とはいえ、
初海外旅だったのでこの時はホントにびっくりした。

てな感じで、また次回!


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author:キンスキー, category:プロフィール的, 02:01
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私の東ヨーロッパ初体験。【12】(移動篇2)

いや〜
インターネット回線が復活してました。ようやくお金を払ったみたいです。
(会社負担なので、支払いに関しては私はノータッチ。)
ってゆうか、今日会社におる時に言えよ。
そういえば、またまた中国は深圳テレビの【真播港澳台】を観ていたら
前にここで書いたアナウンサーが出ておりました。
ん〜ん。べっぴんさんでした。

どうも、どうも。
でも、同じ深圳テレビ【深視新聞】のアナウンサーの方が
べっぴんさんに見えてきてるキンスキーです。


あの、言っときますけど、
列車での移動中に東ヨーロッパの女性と初体験した話
ではないのであしからず。
言葉わからんのにチョメチョメできまっかいな。
あ、チョメチョメはできるか。
イチャイチャできまっかいな。

<前回はこ・ち・ら


陽気なイタリア人兄ちゃんが去った後、トリエステの駅で
1時間ぐらい待って列車が出発。
この時も、
ウィーンから泣く泣くチェコ迂回(日程の関係でビザ取れず)の
ドイツ経由でポーランドに行く列車に乗った時と同様に満員だったので、
連結部分に近いところに乗り、しかも立ちっぱなしであった。
はあぁ〜。
でも、まぁ、ヨーロッパの風景を見ながらキレイなぁと思いつつ、
そういえば
レオノール・フィニはトリエステに住んでたこともあるんやったなぁ
とも思いつつ、そうこうしているうちに国境駅に到着。

シェパード?を連れた国境警備隊なのかなんなのかが
ライフルを構えつつ入ってきた。
ではなく、ライフルを携えてドカドカ入ってきた。
で、
いきなりトイレを検査。
「すみからすみまで角淳一です」やないけど、
ホンマすみからすみまで調べていた。
もちろん、トイレ天井のドアみたいなトコも顔を覗かせて。

その次は、私。
「パスポルテ!!」
そない怖い声で言わんでもええやないかと思いつつ提出。
「■△▼□×■+▽*▲」
ナニゆぅとるか分からん。
「スチュゥ〜デント。アイムアスチュゥ〜デント」
で、パスポートをチラッと見ただけでスタンプを押してお終い。
はやっ。ものの19秒!
その次はダイエー帰りのようなカッコをしたおばさん。
買い物袋を4つぐらい持っている。
こっからが凄かった!
まるで尋問してるような口調で質問しまくり。
で、その買い物袋を
「すみからすみまで角淳一です」やないけど、
中身をひっくり返してすみからすみまで調べていた。
いや〜、凄かった。
ブツブツ言いながらそのおばさん、買い物袋にブツを入れ直していた。
で、次は、
イタリア人っぽい顔をした兄ちゃんの番。
これも凄かった!!
尋問していた。
イタリア人っぽい兄ちゃん、命乞いするかのような顔で
何か訴えている。
スーツケースから何やら書類を取り出し、それを見せている。
その間、他の国境警備隊の人間はスーツケースを
「すみからすみまで角淳一です」やないけど、
ひっくり返してすみからすみまで調べている。
で、まあ、
なんとかみんな外に放り出されることなく検査は終わったんだが、
この時ほど、菊の御紋の威力を感じたことはないくらい
「菊」すげぇ〜〜、と思った。

で、なんやかんやで、
ドイツ=ポーランドの国境駅で外に出されて大声で叫びまくってた
おばちゃんみたいな人はおらず、無事出発。
結局、1時間ぐらいかかったんちゃうかな。
さあ、目指す国へ入国。

てな感じで、また次回!


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author:キンスキー, category:プロフィール的, 01:17
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私の東ヨーロッパ初体験。【11】(移動篇)

いや〜
【真播港澳台】のアナウンサー?ニュースキャスター?を見ようと、
昨日テレビをつけたんですが、違う女性でした。
???
日本では日替わりでキャスターが替わるということはないと思うんですが、
中国はそうではないのかな?
ちなみに昨日の方はカワイイ感じの方でした。
ちなみに【真播港澳台】の前の時間にやっているニュース番組の
アナウンサー?キャスター?は知的な感じでべっぴんさんでした。。。
ん〜ん、宮崎緑をもうちょい柔らかくしてもっと若くした感じです。
(たとえが古すぎる?)

どうも、どうも。
アナ大好きキンスキーです。


前回は【こちら


チェコはプラハを夕方ぐらいに発ち、まずはオーストリアはウィーンへ。
そう、あの一泊しかしなかったウィーンだ(コチラ)。
別に、思い返してウィーンを堪能しようと思ったわけではない。
単に次の国へ行く乗換えの為だった。
で、3時間待ちぐらいで、ヴェネツィア行きの列車に乗り込んでウィーンを出発。
ん?タイトルに【〜〜東ヨーロッパ初体験】とつけてるのに西の話?
んなことはなく、途中の駅でまた乗り換えます。

6人掛けのコンパートメントを一人で占領していたのだが、
世の中そんなに甘くはなく、3人の東洋人が乗り込んできた。
彼らは韓国人で、兵役が終わりちょっとの休みを利用して旅をしている、
とのことだった。その後、大学に復学すると言っていた。
とまあ、
できない英語を駆使していろんな話をしたが、
残念ながら、話の内容は忘れてしまった。。。
ま、そんなもんでしょ!

で、朝の5時頃イタリアの「ウーディネ」という駅で降り、韓国人とはサヨナラ。
彼らは終点のヴェネツィアまで行くとのことだった。

私はというと、イタリアはトリエステ行きの列車待ち。
ん?タイトルに【〜〜東ヨーロッパ初体験】とつけてるのにイタリアの話?
んなことはなく、トリエステでまた乗り換えます。

この時イタリア人の兄ちゃんが話しかけてきた。
チャオ!タバコ吸うか?
と。
ワシ、今、自分の吸ってるがな。
てなことをイタリア語で言えるわけもなく、とりあえずは断った。
初めての旅だったので、私はバリアを張っていた。
ワルシャワでのガキんちょのこともあったんだが(コチラです)、
無下に「つっけんどん」とするのはあかんな〜
と思ったのはもっと後年になってからで、
この時は、
タバコに睡眠薬が入ってるんちゃうか?とかいろんなことを思っていたので、
 「いやいや、いらんいらん。自分の持っとる。」
 「なんならオレのチェリー吸うか?」
と断った。
が、兄ちゃん、そんなことお構いなしに、私の隣に座り話しかけだした。
 「チャオ!どこの国から来たんだ?」
 「チャオ!結婚してるのか?」
 「チャオ!学生か?」
 「チャオ!どこ行くんだ?」
ほんまイタリア人って陽気でした。

で、列車が来たので乗り込み、いざ!トリエステへ!
ちなみに兄ちゃんとは別の車両に乗った。

列車から見えるアドリア海がすんごくキレイだった。
ポーランドで見たバルト海とは対照的だった。
アドリア海は「あったかい」雰囲気を醸し出していたが、バルト海は暗かった。
まあ、どっちかというと、私の好みはバルト海なんだが。

そうこうしてるうちにトリエステに到着。
降りて歩き出したら、別の車両から降りてきた兄ちゃんが私を見つけるなり、
「チャオ!」
と言って去っていった。

てな感じで、また次回!


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author:キンスキー, category:プロフィール的, 10:39
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私の東ヨーロッパ初体験 【10】(チェコ篇)

いや〜
相変わらず家のブロードバンド回線が来ていないので、
家の中は15年前の世界が繰り広げられています。
で、わざわざ香港まで来てブログを書いているわけですが、
と、まあ、わざわざというのはウソです。
2週間に1度の出国の為に香港にやってきました。
で、中国は端午節なので今日から3日間連休です。
(ちなみに香港は今日だけらしいです)
さてと、何をしようか。。。

どうも、どうも。
人生が連休状態なキンスキーです。

あ、先に言っておきます。
間違ってもチェコでのいわゆる初体験ではないので、あしからず。
言葉わからんのに、イチャイチャできまっかいな。

前回は《コチラ


ポーランドはクラクフを夜に出発し、
チェコのプラハには次の日の昼には着いた。(多分)

で、「地球の歩き方」に載ってあった安宿へと向かい、まずは宿の確保。
そのあとは、ヴァーツラフ広場へ直行。
その昔、「プラハの春」で、ソ連の戦車がやって来たところ。
もちろん、私が行ったときにはソ連の戦車なんぞおる訳でもなく、
韓国?北朝鮮?の方々の催し物があった。
で、その後は、
カレル橋とかモルダウ川を見て過ごした。

今となっては驚かないが、この時、ちょっと「へ〜」と思ったことがあった。
地下鉄。
それまでは、
日本の地下鉄と10日ほど前までいたおフランスはパリのメトロしか
乗ったことはなかったのだが、
このチェコはプラハの地下鉄も普通に動いていた。
当たり前なんだが。。。
で、日本と同じ、横並びいすだった。
パリのメトロは横並びではなかったので、外国の地下鉄って
「新幹線いす」だと思ってしまっていたのだ。

てなことがありつつ、
やっぱりプラハ城はハズせないんで、観光に行ったんだが、、、
この時、ちょっと「はぁ〜ん?」と思ったことがあった。
守衛。
このプラハ城の守衛は全く持って「なってない」!
何ゆえかというと、
こういう守衛は「微動だにせず」、ビシッと「目線は前」が当たり前だ。
(私の思い込みです)
ところが、このプラハ城の守衛ときたら、トホホ、、、情けない。
きょろきょろきょろきょろしとる。
ホンマにここは旧共産圏の国か!と思ってしまった。
ポーランドはワルシャワのとある場所の守衛なんかは
そらもう、人形かいな?と思うくらい動かない。
もちろん人形なんかじゃないですよ。交代の儀式で歩いてるの見ましたから。
あまりの怖さ加減に恐れおののき誰も写真を撮る観光客はいなかった。
もちろん私も含めて。
カメラを向けたら最後!どっか訳分からんところへ連れて行かれる。。。
ってことはないとは思うが。
ま、プラハ城の守衛はかわいそうなんだが、あまりにも観光客が多すぎる。
で、平気で守衛の横に立ち、パシャパシャと皆、写真を撮る。
しかも、守衛はおそらく、成り立てだったと思う。めっちゃ若かった。

んなことがありつつ、夜は安宿のドミトリーで一泊。
このときは8月だったんだが、このあたりの地域って夏の夜って
結構寒いんですね。
しかも、宿のシャワーはお湯が出ず更に、掛け布団やら毛布がなかったんで、
よけいに寒かった。
しゃーないんでビールを一本だけ買ってきて、
(売ってる場所が近くになく、1時間かかってしまった)
酔っぱらって寝た。

次の日は、列車の出発までの間にナチスの強制収容所があった
「テレジーン」という街に行こうと思っていたんだが、バス乗り場へ行っても、
結局分からずじまいだったので行けなかった。
まあ、ここもえげつないことをナチスがしていた場所です。

で、断念して、
列車へ乗り込んだ。

次の行き先は。。。
これまた長い列車の旅になります。
列車で一泊。3回乗り換えでした。。。

てな感じで、また次回!


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author:キンスキー, category:プロフィール的, 10:48
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